肉体のアナーキズム
【重要】増補改訂版(仮)出版予定のお知らせ
同書は現在絶版となっておりますが、2025年内をめどに「増補改訂版(仮)」を出版予定です。
具体的な時期が定まりましたら再度アナウンスいたします。
経済の高度成長、都市の肥大化、マス・メディアの浸透による社会の激変期―――
60年安保闘争とその敗北から、アングラ文化、全共闇へと至る政治と文化の闘争に、
美術家たちは、いかに反応し、かかわり、行動し、そして、いかに忘却されたか……
膨大な資料と長年の調査によって初めて解き明かされる、
生身を武器とした、表現と抵抗の歴史!
●本書の概要
1960年代の日本前衛美術はしばしば展覧会で紹介され、また議論されてきました。それは、この時代に美術家たちが次々と大胆な実験を行ない、アンフォルメル絵画から「反芸術」へ、そしてテクノロジー・アート、もの派、コンセプチュアル・アートへと、美術が劇的な進化をとげたからです。しかし、この時代に展覧会や評論は、具体芸術協会やハイレッド・センターによるものを除き、美術家によるパフォーマンスを無視しがちでした。実際には、そのほかの多くの美術家が、1960年代を通じて「美術」の文脈から踏み出た公共空間でのパフォーマンスを敢行しており、それは「現代美術」の主流として既に美術史に記されている作品・パフォーマンスよりも、当時の反体制的な文化を体現していたのです。
本書では、忘れられかけた美術家によるそれらのパフォーマンスを検証し、この時代におけるアナーキズム傾向の文化的・政治的な文脈に位置づけようとしています。これらのパフォーマンスは、同時代のカウンター・カルチャーや政治活動の一部でもありました。今回焦点をあてている美術家たちは、当時の社会が掲げた理想や急速な近代化への異議申し立てに参加したために、そのパフォーマンスも1960年代初頭の安保闘争と60年代末の全共闘運動の文脈のなかで行なわれたのです。
●本書の構成
本書は4部から成ります。第1部では、日本におけるパフォーマンス史の重要性を論じ、従来の美術史研究が「国際様式」による「高級芸術」を崇めることで、パフォーマンスを等閑視してきた状況について考えます。ここで論じるパフォーマンス・アートは、1960年代初頭の読売アンデバンダン展から必然的に生まれたものですが、この際にキーワードとなるのが「反芸術」です。ただし、1964年に行なわれた「反芸術」論争は、欧米の美術に偏って参照する傾向があったため、「芸術業界」内部の問題に収束しており、その性急な結論を乗り超えるためには、「反芸術」の概念を拡張する必要があります。すなわち、古めかしい生活様式にとらわれた日常生活の世俗的な現実を包含し、かつ、都市の拡大とマス・メディアの成長という当時の新現象をも考慮しなければなりません。
第2部では、このような新しい視点から、1957年から1970年まで日本におけるパフォーマンス・アートの歴史を年代順にたどりなおします。美術におけるパフォーマンスは、1957年にジョルジュ・マチウが世に広めたアクション・ペインティングの公開制作から始まり、このデモンストレーションに刺激された篠原有司男は、芸術家のキャラクターをマスコミに売り込むようになります。同じ頃、風倉匠は、旧来の演劇の枠組みに疑問を投げかけるため、絵画から独立した初のパフォーマンスを行ないました。このような肉体の現前と「直接行動」への動きは、1960年の安保闘争敗北後のアナーキズム的な風潮のなかで強められました。
日本が高度経済成長を始めた頃、1963年には読売アンデバンダン展が中止され、その後にはパフォーマンスの舞台が地方都市や路上に拡大し、美術の展示という制約を抜け出していきます。その例が初期(ゼロ次元)の実験であり、また1965年の岐阜アンデバンダン展です。後者は、遠隔地で活動してきた作家どうしのネットワーク作りにもつながりました。(複数作家による、しかし展覧会ではない)合同パフォーマンス発表が始まったもの1962-64年です。そして1966-68年にはアングラ文化が開花し、さたに多くの作家(<クロハタ>、水上旬、小山哲男、<告陰>など)が、単独あるいはグループで、路上や一般大衆向けの舞台でパフォーマンスを始めます。関西(神戸、大阪、京都)では、池水慶一や水上旬らによって集団的なプロジェクトを行なう<プレイ>が創立され、1968-69年には、複数の個人が同時に・自発的に行なうパフォーマンスと、集団による統制されたパフォーマンスが結合していきました。
1970年の大阪万博開幕が近づくと、建築家、デザイナー、音楽家などの前衛作家たちの多くが、この国家イベントに貢献するように招かれます。それは1960年代半ば以後に広がった「インターメディア」を継ぐものでした。この状況に対して、「反芸術」傾向を継承する「儀式系」パフォーマンスの作家たちは、1969年初頭に<万博破壊共闘派>を結成し、政府と大企業が吹き込む経済やテクノロジーの進歩を謳う社会的な洗脳に対抗するため、万博を「粉砕」しようとしました。しかし、警察が総力をあげて政治活動家や路上のヒッピーを取り締まるなかで、<共闘派>を主導した作家は逮捕されてしまい、グループは解体、そのメンバーはそれぞれ異なる方向に向かっていきます。
第3部では、第2部で述べられなかった、1960年代のパフォーマンス・アート史で重要な役割を果たした作家およびグループの特有の展開に焦点をあてます。ここでは、<九州派>(福岡)、あさいますお(瀬戸)、<ゼロ次元>(名古屋・東京)、<クロハタ>(東京)、小山哲男(東京)、<告陰>(東京)、女性作家、糸井貫二(東京・仙台)、<集団蜘蛛>(福岡)をとりあげます。
最後の第4部では、ここまで述べてきた無数のパフォーマンスの文化的・社会的・政治的な背景を詳述します。美術家たちは、エリート文化、経済をテクノロジーの発展、加速する都市化と、それに伴って進展した管理社会化、そして陳腐化した左翼運動への抵抗を続けたのです――果敢な「肉体のアナーキズム」によって。
●本書に登場する人たち
赤瀬川原平 秋山祐徳太子 あさいますお 足立正生 荒川修作 アンビート 池田正一 池水慶一 石子順造 一柳慧 糸井貫二 今泉省彦 岩田信市 VAN 瓜生良介 8ジェネレーション 榎忠 円劇場 おおえまさのり 大山右一 岡山青年美術家集団 オチ・オサム 小野洋子 小幡英資 尾花成春 ガガ 加賀見政之 風倉匠 我S 加藤好弘 金坂健二 唐十郎 ガリバー かわなかのぶひろ GUN 川仁宏 菊畑茂久馬 岸本清子 九州派 具体 工藤哲巳 グループ<位> グループ・音楽 グループZero クロハタ 告陰 小杉武久 小松辰男 小山哲男 埼玉前衛芸術作家集団 桜井孝身 佐々木耕成 佐藤重臣 塩見允枝子 時間派 実験工房 篠原有司男 澁澤龍彦 ジャックの会 集団蜘蛛 集団“へ” 白髪一雄 新開一愛 末永蒼生 ゼロ次元 前衛士佐派 高松次郎 タージ・マハル旅行団 田代稔 立石鉱一 田中敦子 谷川雁 田部光子 ちだ・うい 千葉英輔 鶴見俊輔 寺山修司 東野芳明 刀根康尚 中島由夫 中西夏之 中原佑介 中村宏 ネオ・ダダ ナム・ジュン・バイク ハイレッド・センター 働正 発見の会 羽永光利 浜口富治 林三従 薔薇卍結社 針生一郎 犯罪者同盟 万博破壊共闘派 美共闘 土方翼 平岡正明 平田実 部族 フルクサス ブレイ 堀浩哉 MAVO 牧朗 升沢金平 松江カク 松澤宥 松田政男 交楽龍弾 三喜撤雄 水上旬 水野修孝 宮井陸郎 宮川淳 宮田国男 宮崎準之助 村上三郎 森秀人 森山安英 山口勝弘 横尾忠則 吉岡康弘 ヨシダミノル ヨシダ・ヨシエ 吉村益信 れまんだらん ほか